- RPGとはプレイヤーがコントローラーを握ることで成り立つ
- キャラメイキング画面で語られること
- Deltaruneにおけるセーブとは
- ゲームを終了するときのプログラムを終了という表記は必然か?
- ゲームオーバー画面について
- 裏ボスであるジュビルの意味深な発言
- アナグラムから考えるDeltarune
- クリスについて
- まとめ
- 次回の記事
RPGとはプレイヤーがコントローラーを握ることで成り立つ
前提としてRPGなどのゲームでは、主人公が動かずしては物語が成り立たない。ではどうするか。我々プレイヤーがコントローラーを握って主人公の分身となって動かすことにより物語は進行していく。そしてRPGに出てくるキャラクター達は意思を持って行動することはできない。なぜなら彼らはプログラミングされた存在にしかすぎないからだ。例をあげると、話しかけても同じ言葉しか返ってこなかったり、指定された場所をずっとうろついたり、主人公が動かなければ他のキャラクターは何もできない。などプログラム特有の動きをする。Deltaruneにおけるキャラクター達も例外なくそれは起こる。キャラクター達に”自由”は無いのだ。
またそれらがこの世界がプログラムされた世界にしか過ぎず自分もまたプログラムされた存在なのでは?と自分がゲームの世界の住人であることを認知できる者はいない。
だが、ゲームによってはそれを認知してくるようないわゆるメタいキャラクターが登場する場合も少なからずある。UndertaleのCharaのようなキャラは実際にそのような立ち位置であった。このようなイレギュラーもあるということは考えて置かないといけない。
キャラメイキング画面で語られること
キャラメイクで”自分が何者になるか…この世界ではだれも選ぶことはできない”といいう言葉が出てくるが、これは先ほど述べたようなRPG世界に通じるものがある。RPGにおいてはすべてのキャラクターが最初から誰かの手によってプログラムされ、それぞれの役職を適当に割りあてられる。つまりキャラクター達は自分が何者になるか選択する余地もなく勝手に「お前はこういうキャラクターだ」と割り当てられる存在にすぎないのである。この言葉はそのような意味を示唆したものなのではないかと推測する。
Deltaruneにおけるセーブとは
ゲーム初回起動時、一つ目のセーブポイントまで到達すると次のようになる
ゲームが始まってまだ一度もセーブしていないが、すでにKrisという名前でセーブデータが存在しているのだ。ここにセーブをすると
冒頭のキャラメイク画面で名前を付けたと思うが、その器の名付け親、つまりプレイヤーの名前で上書きされる。これはクリスがプレイヤーの干渉を受けるまでは、ゲーム内において自分の意思を持って動くキャラクターだったということの表れかもしれない。それが元のセーブデータに”Kris”という名で存在していた理由だ。そこに我々プレイヤーが干渉したことによって、データをセーブする際クリスとしてではなく、プレイヤーとしてセーブしているのではないかと考えた。
また”?????”となっている箇所は本来ステージの名前が付くのだが、ここでは疑問符表記となっておりどこか分からない状態となっている。だが、すでにここがどこなのかはDeltaruneのウィンドウを見ればわかるようになっていて見てみると『The Dark』を書かれていることがわかる。
セーブデータ管理画面から考える真実
次にゲームを終了して再起動すると、次のような画面になる
このように黒と緑だけで描かれたコンソール画面のようなものでセーブデータが管理されている。この演出もこのゲームがプログラムにすぎないという事を強調しているように思える。
この画面は一度ゲームをクリアすると別の背景、UIに切り替わる。(ゲームをクリアする前から画面表記が変わっている可能性もあるので要検証)
また、このセーブデータ管理画面において操作するうえで不思議な表記が多々あるためそれを紹介したいと思う。
破壊シマスという適切でない表現から考える真実
まず、データを消去しようとすると、上のような画面が表示されるのだが、”消去シマス”という表記を使用せず、なぜか”破壊シマス”という表現をしているのだ。単なるゲームのセーブデータの消去なら、”破壊”という表現を使わなくてもいい気がするが、これに理由があるとするならば、一つ考えられることがある。それは
このゲームをプレイし、セーブすることによって新たな仮装世界が構築されているのではないかという考えだ。
この考えならば、『仮想世界を消去する』よりも『仮想世界を破壊する』の方がより表現として正しい気もする。
Deltaruneは仮想世界であり実験台となっている?
これらから、Deltaruneが単なるゲームというわけでなく、シミュレーションゲームなのではないかという考えに至った。シミュレーションとは実際にモデルを構築し、それを使って観測や実験を行う事である。
ここでのシミュレーションとは、実際にDeltaruneというゲーム的な仮想世界を構築し、この仮想世界を創造した黒幕がDeltaruneを用いて何かしらの実験を行っているということだ。
また、セーブデータを破壊すると上のように”跡形モナク 消エ去リマシタ”と表記される。Deltaruneが仮想世界と仮定すれば、データ消去とは仮想世界の消滅と同義であるので、跡形もなくという表現が正しいような気がしてくる。
逆に消去しなかった場合の表記は↑画像の通りである。
非常に奇妙ですよね…怖いです。
Deltaruneにおいてはセーブスロットが重要になってくる?
正直これに関しては証拠はあるが、それがどう関係してくるのか皆目見当もつかない。とりあえずその証拠とやらを残しておくので、本記事をお読みになった方は是非とも考えてみてください。ではどうぞ
↑画像は1つ目が最初に始めたセーブスロットで、2つ目のセーブスロットは1つ目のセーブデータをコピーしたものだ。そうするとなぜかプレイヤー名が表記されないのだ。
しかしプレイヤー名を表記させる方法は存在した。2つ目のセーブデータでゲームを開始し、そこでセーブをすると今度はプレイヤー名付きでセーブすることができる。
セーブスロット1の場合のテキスト
セーブスロット2の場合のテキスト
セーブスロット3の場合のテキスト
証拠は以上で終了となる。他にも探せばあるのかもしれないがこれ以上周回するのは面倒なので諦めます。
ゲームを終了するときのプログラムを終了という表記は必然か?
このプログラム終了という表現、通常のゲームであれば単にゲームを終了させることの意であろう。しかし、このゲームにおいては、この世界がプログラムされた世界ということがテーマであると仮定したとき、ゲームプログラムを終了するということは、Deltaruneというゲームを動かしているマシンのプログラムを終了させることである。つまり我々プレイヤーが一時マシンの操作を離れたとき、それはこのDeltarune世界の一時停止を意味しているのではないかと考えられる。”ゲームを終了”という文字は使わず、”プログラムを終了”と表現したのには、そのようなことを強調したからだったのかと考えざるを得ない。
ゲームオーバー画面について
HPが0になり進行不可能となった時に、他のゲームと同様にゲームオーバーとなりまだ続けるか問われます。ですがこのゲームにおいてはやはり、違った意味にもとらえることができそうだ。”ドウヤラ ココデ 終ワリノ ヨウデス”,”再ビ 挑戦ヲ?”というのは、Deltaruneの世界を動かしているマシンが「まだこのDeltaruneというゲームをプレイするケツイはあるか?」とプレイヤーに問うというものだろう。
”デハ 未来ハ マダ アナタノ 手ノ ナカニ”これはクリスをまだ動かすケツイが我々プレイヤーに残っているのだとしたら、まだこのDeltaruneというゲームの物語を進行させる事ができるという意味だろう。
裏ボスであるジュビルの意味深な発言
これだけこの世界がプログラムに過ぎないという証拠が集められたが、ジュビルの意味深な発言でこの考えはほぼ確信へと変わった。
ジュビル戦を終えた後平原にいるよろず屋ヌイに話しかけると、過去ヌイとジュビルは友人であったことを明かされる。そして、ジュビルがおかしくなった理由も明かされた。どうやら怪しい人物に接触したことでジュビルはおかしな発言を繰り返すようになったらしい。そして決定的な発言が下の画像だ。
「この世界はゲームだ」、キャラクターはみなゲームの参加者
ジュビル戦を終えてこの話を聞いたときに、私の考えは確信へと変わりました。
また、怪しい人物は接触したキャラクターにゲームの存在にすぎないという事を明かしたことでジュビルは精神に異常をきたし、あれだけ頭がおかしくなってしまったんだと解釈している。
アナグラムから考えるDeltarune
アナグラムとは元ある文字列を並び替えることで別の文字列へ変換させることだ。
例えば『Undertale』であれば文字列を入れ替えて『Deltarune』という別の文字列へと再構築することができる。これは『Undertale』という物語に登場してくるキャラクターや一部設定などはそのまま世界を再構築した世界が『Deltarune』なのではないかと推測できる。そこから予想するに、UndertaleもDeltarune同様にプログラムされた世界にすぎないのではないかと考えている。
クリスについて
クリスは始終無言であることが分かるが、これには我々プレイヤーがクリスを操作しているというところに繋がっていると考えている。このDeltaruneが誰かの手でプログラムされたRPGゲームでしか無いと考えたとき、主人公であるクリスを操作できるようプログラムするだろう。この時作り手はどうプログラムするだろうか。私であれば、プレイヤーが思いのままに操作できることこそが、没入感があり実際にゲームの中のキャラクターを動かしているんだと実感できる。無言であるというのも我々がDeltaruneの世界に対して言葉を発することはできないからだ。クリス自身からは自発的に話すことは無く、話すときには必ずその内容をプレイヤー自身が選択しているということから、クリスはいわばプレイヤーの分身であるということが分かるだろう。だからこそ、Chapter1最後の自らソウルを抜き取るシーンには驚かされた。今までクリスの操作を意のまま行えていた我々であったが、あのシーンだけはクリスを操作することはできず、クリス自身の意思とも呼べるもので彼は動いたのだ。
また、別記事にてChapter1以降の物語がどう展開していくか考察した記事があるのでそちらも参考にしてみてください。(あまり自信は無いです)←
まとめ
総じて考えてみてもDeltaruneはゲームの世界であるということを強調したいように思えます。個人的にメタ的要素のあるゲームは大好物なので、このような展開であったら最高ですねえ。(DDLCとかONESHOTとか好きなんですよ。)
いつかこれらのゲームについても考察や紹介していきたいと考えてますのでしばしお待ちを。
では今回はここらへんで、では
次回の記事
DeltaruneとUndertaleの繋がりについて考察してみたので良ければ是非↓
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